ぴのちゃんの「ありのまま」を受け入れるということ(自閉症スペクトラム)

自分の子が自閉症であるということを受け入れるのは、容易なことではありませんでした。
母親だから仕方ない、母親だから子どもを無条件に愛せるでしょう、というわけでもありません。
「子どもが自閉症であることを受け入れる」とは言葉通りのことではなく、その子の生を受容することになります。
その子の生を許す、存在を許すということは、その前段階に自分を大きく許すという行為が必要だと思います。
この記事の目次
人間の偽善
障害のある人と関わる時には、人間の偽善の部分が作用してしまいがちです。
しかし偽善で人は育ちません。偽善は善によく似た嘘だからです。
道徳的観念では自閉症の子どもを育てることは出来ないのです。
自閉症の子どもは、親にとって恥ずかしいと思うことを人前でしてしまいます。
「ここでは大人しくしていてよ」という場面に限って裏切るかのように困らせてくるのです。
私はぴのちゃんを育てることで、あらゆる自分のエゴをさらけ出すことになりました。
自分が恥ずかしいと思うことが起きてしまうのです。
自分が恥をかかないために、ぴのちゃんの療育をする。
自分が恥をかかないために、ぴのちゃんを普通に近づける。
その裏には大きなエゴがあります。ぴのちゃんをコントロールしたいという欲があるのです。
偽善もこの意識が根底にあります。
これを無意識でしてしまっているので、子どもの存在自体を受け入れることからどんどん遠ざかっていくのです。
子供のためではなく自分のために・・
子どもが人前でひっくり返って暴れ始めると、自分が恥ずかしいのです。
自分のために「静かにしなさい」と子どもを叱るのです。
子どものためを思って言っている言葉や言動には、その裏に自分のコントロール欲が隠れていることが多いです。
コントロール欲があるうちは、周囲に対して不平不満が多いです。
「子どもが大変なのに旦那さんは手伝ってくれない」「子どものことを何もしてくれない」「自分がきついのに気遣ってくれない」とどんどん被害者意識になり、不満は無数に出てきます。
ここにも旦那さんをコントロールしたいという気持ちが裏に隠れています。
振り返ってみてもしも思い当たることがありはっとしたら、そこから気持ちを切り替えてみてください。
自分の気持ちに寄り添うことで「自分は恥をかきたくなかっただけなのだな」と本音に気づくと、それだけで少し救われた気持ちになります。
その時初めて自分を赦す行為をしたことになるのです。
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引き寄せ
周りにもたくさん助けを求めてみてください。
私はぴのちゃんに関わる全ての人に「助け」と「協力」を求めています。
自分の恥は全く考えなくなりました。こうやってブログを書く事もそうです。
いまでは毎日懸命に色々な事を練習しているぴのちゃんを誇りにも思います。
旦那さんにも「何か手伝ってよ!」ではなく「これとこれをお願いね」と具体的にヘルプを求めています。
自分の意識が変わっていくと、何か世界も動き始めます。
これが「引き寄せ」の法則なのでしょうか?
ぴのちゃんにとっていい情報や、療育施設への参加、先輩ママとの出会い、発達障害専門の大学の紹介と、ぴのちゃんのために良い事が巡っています。